9/27

6時に起きて出社。最近は秋晴れで、朝方びっくりくらい寒いけど、気持ちのいい空。

 

ついに引っ越しを終えて、一人暮らしが始まった。一度家を出たことがあるからか、そこまで電車に乗っても、手続きをしても、感傷的にはならなかった。でもやっぱり家に1人だと音もないし、ぬいぐるみとしゃべってくれる親もいないし、さみしい。このさみしさが心地よくなる日が来ることを願うばかり。

 

いろんな瞬間を1人で切り抜けていかなければならない。みんながそうしているように。誰かが見ていなくてもただ暮らすということ、その当たり前の孤独を知った上で私は、また誰かといっしょにいたいなあとおもう。

 

今朝は冷凍庫の引き出しが戻せなくなった(こう言う絶望はよくある)けどなんとか戻したし、すごく達成感があった(こういう粗相は人に任せきりだったから)。でも、帰り道まで一度も思い出さなかった。

 

昨日は洗濯機の仕様がよくわからなくて、父親に電話しながらそれなりにわーわーいった。でもなんとか脱水かけて干して、週末またチャレンジすることにした。

 

いまはあったかい飲み物に救われている。実家に帰って以来母親がよくお茶を入れてくれて、朝、夜に飲むのが日課になったけど、ほんとうに心が安らぐ。スーパーで180円くらいのほうじ茶を買って飲んでみたけどふつうに美味しくて、いつもだったら「これ安いけど美味しいかなあ」と聞いてしまうけど、ちゃんと自分の判断で買ってみるということ、その感想を自分で消化すること、これからも繰り返していきたい。

 

あと、最近よくスピッツの「ナナへの気持ち」を聴いている。

 

街頭沿いのロイホで 夜明けまで話し込み

何もできずホームで 見送られる時の

憎たらしい笑顔 よくわからぬ手ぶり

君と生きて行くことを決めた

 

 

文脈は合わないけど、何年も前に前の恋人と旅行先のガストで、一緒に住んだら大きなぬいぐるみを置きたいと話した時のことを思い出した。

お互いに学生だったし付き合い始めて日は浅かったけれど、全く夢みたいな話だと思って語っていなかったと断言できる。そうなると信じていたというか、それ以外の未来は存在しなかった。今の方がよっぽど夢のようなことをたくさんしゃべってる。

 

もうずっと思い出していなかったけど、こういう思い出はぽろぽろ出てくるんだろうな。

よくわからない手ぶりで、一緒に生きて行く(結婚とか、そういうことではなくて)と決められるなんてすてきだな。。何かのきっかけで、決意されたくないよね。でも、「きちんとした理由」以外の、曖昧でくすぐったくて、2人にしかわからないことだけじゃ、もうだめなんだって気づいてしまった。2人にしかわからないことは、どちらかがわからなくなったら機能しなくなる。だから人は法や紙切れや他人や肩書きもしょいこむんだ。本当は2人だけで、2人の思うことだけで進んで行きたくても。

 

おふろはいって、明日は在宅だし本でも読もう。一人暮らししたらやりたかったこと一つめ、窓を開けて本を読むこと。